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生殖医療 - Cranberry Jam-

2016年12月02日


「卵子ドナー募集」
先日、私のFacebookにこんな広告が表示されました。

佐藤太郎さん(仮名)は、大学生です。アルバイトの掛け持ちと奨学金でなんとか学費を捻出しています。太郎さんにとって1回3万円の報酬は、生活の助けになりました。第三者に自分の生殖細胞を提供することに、特別な抵抗感はありませんでした。むしろ、自分の遺伝子を受け継ぐ者が誕生することに、幾許かの高揚感さえありました。提供は匿名が前提なので、産まれた子供から何かを要求される心配もありません。

鈴木華子さん(仮名)も苦学生で、学費の工面に苦労していました。華子さんにとって60万円の報酬は、魅力的な臨時収入でした。卵子を提供することに、迷いがなかった訳ではありません。排卵誘発剤による身体への影響について事前に説明を受けましたが、副作用で卵巣過剰刺激症候群という重大な合併症になるリスクについては理解していませんでした。華子さんは、自分の子供を産むことが出来なくなりました。「卵子を提供したことで、人生が一変した。悔やんでも悔やみきれない」
アメリカ合衆国ネバダ州、人口8500人の小さな町。シンディさん(33才)の暮らしは楽ではありませんでした。修理工の夫は過去に自己破産しています。シンディさんにとって200万円の報酬は、健康リスクを冒してでも手に入れたい大金でした。出産経験はあるので、その大変さは知っています。その上で、見ず知らずの日本人に子宮を貸す決断をしました。「双子なら報酬はプラス30万円だった。でも臨月まで体が耐えられるか不安になり、途中で減胎を申し出た。1人を堕胎して欲しいと」 しかし依頼主の強い意向により、双子のままで出産しました。帝王切開でした。「私の子ではないので、産道を通したくなかった」

向田真紀さん(仮名)は、癌で子宮を摘出したため自ら出産することができません。向田さんは自分と夫の生殖細胞を体外受精させ、シンディさんの子宮を借りて双子の子供を得ました。「夫の遺伝子を残したかった」
野木英子さん(仮名)は、自分の卵子で不妊治療を続けましたが子供を得られず、50才の時に第三者の卵子を購入して出産しました。若い女性の卵子でした。「家族が欲しかった。それだけ。女性はみんなそうでしょ?」
加藤英明さん(42才)は、29才の時に自分が第三者の提供生殖細胞から生まれた事実を知りました。父親や、父方の祖父母・親戚とは、実は血の繋がりが無かったのです。「自分の人生が土台から崩れ、空中に放り出されたような浮遊感を覚えた」 加藤さんは空白となった自分の半分を埋めるため、今も提供者を探し続けています。「自分の遺伝上の父が誰か分からない事が、とても怖い」石塚幸子さん(36才)は、23才の時に提供生殖細胞から生まれた事実を知りました。「今の社会は、子供を得られない辛さや、子供を得たいという欲求には理解がある。しかし私のように、積年のウソが露見した事により親との信頼関係が壊れる辛さ、アイデンティティが崩壊する苦しさ、自己の再構築の為に遺伝上の父を知りたいという欲求には理解がない」

さて、Facebookに表示された広告をクリックしてみると、卵子提供の報酬は年齢や学力に応じて50?80万円でした。「提供者の個人情報は厳重に保護される」とのことでした。しかし、先述の加藤英明さんも石塚幸子さんも、生殖補助医療の「真の当事者」として、「出自を知る権利」を強く求めています。
私は、お金を得るために卵子や子宮を提供しようとは思いません。経済的に困窮していない女性は、血縁のない第三者に卵子や子宮を提供してお金を得ようとは思わないはずです。金銭の授受を伴う卵子や子宮の提供には「貧困ビジネス」という側面があり、身体のリスクを冒して対価を得るという構造は売血や臓器売買に通じる部分があると思います。
日本は現在、世界で最も体外受精が行われている国です。会社の経営であれば、多様化・多角化によって上手くいくこともあるでしょう。しかし、生殖補助医療により親と子の関係を多様化・多元化することは、不妊に悩む人々に光明を与える一方で、今まで存在し得なかった新たな問題を生み出しています。一刻も早いナショナルコンセンサスの形成と、ルール作りが望まれます。

Written by  Cranberry Jam

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