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いい大学に入れば将来は安泰?? -wildernesswolf-

2015年02月20日

いい大学に入れば将来は安泰??

学生時代に大阪の八尾の缶工場で季節労働のアルバイトをしたことがある。
何処で知り合ったのかは思い出せないが、ステンドグラスのアートデザイナーの方が居て、彼がセカンドビジネスとして労働者紹介をやっていた。
発注元は京都に工場のあるダンボールメーカー。表向きはそのダンボール工場での仕事になっているのだが、実際はダンボールの販売先に出向して働くというもの。恐らくは、ダンボール料金に労働者派遣料を載せて販売していたのだろう。

季節労働というのは「みかん缶」と「桃缶」の時期にそれぞれ1ヵ月?1ヵ月半の短期の仕事だった。八尾(大阪)の工場は大手缶メーカーの下請けで、正社員は15人くらい。季節労働の時期に日雇い派遣労働者で人数が倍以上になる。それだけの人数の労働者を短期間に確実に集めるのは下請け零細企業にとっては(当時は)難しいことだったのかもしれない。僕のような学生バイトは少数で、中高年が殆どだった。

なんでそんなバイトをしたかというと給料が良かった。時給は35年前で2千円だった。毎朝の集合場所は京都のダンボール工場で集合時間から解散までが時給の対象になった。だから、往復3時間は車に乗っているだけ。6時に京都工場に集合して、現地は8時から始業。昼休憩は30分、それ以外はトイレ休憩があるだけで、17時まで殆ど休みなし(これだけ休憩時間のない仕事は後にも経験がない)。殆ど毎日残業があり、夕方自販機のうどんをかけこんだら20時まで延長作業。納期が厳しい時はエンドレス(それはさすがに参加しなかったが)。家に帰ると寝るのは23時、そして翌朝は5時には起きなければならない。

作業は単純だった。「みかん缶」や「もも缶」のデザインが印刷されたスチール板やふたの部材を機械に入れてゆくだけだ。ふたの部材は軽いので比較的楽だが、スチール板は重なっていると結構重く、機械のスピードについてゆかなければならないだけに、それを何時間も全く休まず続けることはかなりの体力仕事だった。加えて機械の騒音は酷く、耳栓をしていても工事現場を超えるレベルだった。一度、作業中に幻覚を見たことがある。お釈迦様がふわふわ浮かんで向こうからこちらに何度も通り過ぎる。これは幻覚だと認識しているのであるが、不思議なくらいはっきり見えた。

体力仕事というと若者に分があるようだが、若者は根性が無く、40歳代の日雇い系の人には敵わなかった。一番よく働いていたのは60歳のおっちゃんだった。泊まり残業は志願者を募る形だったが、おっちゃんはいつも志願してくれた(そのお陰で僕は泊まり残業を行わなくて済んだのだが・・・・)。泊まり残業をしなかったのは、仮眠室しか工場には無かったのと、長時間働くのは危険だった。うっかり眠ってしまい変なところに手をつけば一瞬で指が無くなる。実際、工場の正社員の人の中には指がない人が多かった。バルタンと影口で呼ばれていた初老の社員は右手には2本しか指がなかった。

結果的に3シーズンこのアルバイトを行ったのだが、アートデザイナーの人に頼まれて、何人も友人や知り合いを紹介した。
しかし、殆どの学生達は続かなかった。チャペルの綺麗なD大学はもちろんのこと、蛮カラのイメージが強いR大学の学生でも1週間続いた者は居なかった(それでも北陸出身者はマシなほうだったが、九州や瀬戸内出身者は1日で辞めた)。
最期のシーズンだったが、京大の友人から京都大学の4回生を紹介された。輸出入銀行に就職が決まっており、就職前の海外旅行に行くための短期集中のアルバイトを探しているとのことだった。いかにも優等生タイプの肉体労働とは縁がなさそうなポッチャリ文系青年だっただけに、紹介はしたものの1週間は持たないと思っていた。
しかし、予想を完全に覆して、結果的に彼は12月の1ヵ月間1日も休まずに働き80万円を手にした。「本当にいいバイトを紹介してくれて有難う」と最終日に彼からお礼を言われたことを今でも憶えている。
彼は社員や他の労働者からの評判も高かった。礼儀正しいし、話すと意外と面白いし、毎日残業を厭わずに、あいつは凄い、と(正直に言って肉体労働で京大生に負けたのは屈辱だった)。

さて、こんな昔話を思い出したのは、ネット上で中学・高校時代に勉強して東大に入れば一生安泰という投稿が話題になっていたことが切っ掛けである。
極く一部の天才でなければ、東大・京大に入る人間は基本的に努力を続けられる人であり、根性もある。そういう人は、大学卒業後も一定以上の努力を続けるのであろう。だから、結果的にそれなりの地位と収入を得ることができる。

だから、東大や京大に入学することはそれまでの努力の結果であると同時に、単に頭がいいだけではないポテンシャルを示している。彼らは思春期に努力し、そして今もそれを継続している。もちろん、運の良い人も悪い人も居る。それは如何ともしがたい。努力が報われない可能性があるとしても、努力を怠れば報われることは少ない。
努力の大切さをもう一度日本人は体と心に深く刻むべきではないかと思う今日この頃である。子供に一流大学に入れと言う親は、まずは自分自身が努力の姿勢を示すべきであろう。

余談だけど、一番働いていた60歳のおっちゃんは或る日突然に来なくなった。給料日の前に来なくなったので働きすぎて死んだんじゃないか、と皆で噂をしていた。借金でヤクザに追われているらしいという実しやかな噂もあった。
実際は、酔っ払ってどこかの溝に落っこちて入院していたそうで、1ヵ月くらいしたらひょいっと普通に現れたそうだ。

by wildernesswolf

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