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神話の国 -Cranberry Jam-

2012年05月18日

ある日、太陽の神様のところに、嵐の神様がやって来ました。気性の荒い嵐の神様は、田んぼを荒らしたり馬を投げたりと大暴れ。怒った太陽の神様が岩戸に引きこもり、世の中が真っ暗になってしまいます。困った八百万の神々が、岩戸の前に大集合。そこで芸能の神様が踊りを披露すると、服がはだけて胸がポロリ。八百万の神々が大笑いします。「なぜ笑っているのですか?」と太陽の神様。「あなたよりも尊い神様が現れたからです」と言われて気になって岩戸から顔を出すとそこには鏡が!「まあなんて素敵な神様・・」その瞬間に力の神様が腕をつかんで岩戸から引っ張り出します。すると世の中に太陽が戻って明るくなりました。

これは今からちょうど1300年前の712年に書かれたお話です。今でも、神棚には鏡を祀ります。古事記に出てくる神話は、長い間全くの作り話だと思われていました。しかし考古学の研究により、古事記のかなりの部分が事実を反映していることが分かってきました。

3世紀初頭までに、奈良には90m級の前方後円墳が5基作られました。その50年後には、270mもの古墳が作られました。畿内一帯を治めた大王のお墓です。さらに50年後には、東北から九州まで前方後円墳が作られるようになります。ヤマト王朝が全国統一を果たした証です。

古事記には、出雲の大国主が天照大神に国を譲るという国譲りの神話があります。以前は出雲に国があったことすら疑問でしたが、出雲大社の近くで発見された遺跡から350本もの銅剣と祭儀用の銅鐸が出土しました。この銅鐸はヤマト王朝のものではなく、出雲にはヤマトとは違う宗教の軍事国家があったことが確認されました。今でも、出雲大社だけ参拝方法が違います。

しかし、出雲とヤマトが戦った形跡が無いのです。どこを掘っても戦傷のある人骨が出ません。国譲りの神話がにわかに現実味を帯びてきました。4世紀以降のヤマト王朝は、戦うことなく版図を拡大しています。もし神話の通り本当に戦争ではなく話し合いで統一国家を作ったのなら、これは人類史上とても珍しいことです。和を尊ぶ心は神話から始まっています。今でも、私たちは和を尊びます。

ヤマト王朝の始まりはいつでしょうか。90m級の古墳を5基も作っているので、3世紀初頭の段階で、王権の兆しが現れてから少なくとも200年は経っていると考えられています。つまり今から2000年前です。そして今でも、その王朝が続いています。例えるなら、イエスキリストの直系の子孫が、現在のイスラエルの国王であるようなものです。しかも、男系だけで続いています。これは人類史上の奇跡と言ってもいいでしょう。

普通の国は独立戦争や革命により誕生しているので、建国の歴史が分かります。2番目に古い国がデンマーク王国で約1000年前、3番目がイギリスで約950年前。あとは最近出来た国ばかりで、アメリカは建国から236年、中国は63年です。日本は、建国についてよく分からない唯一の国です。2000年も前から続いているので、建国の謎解きのために神話を真面目に研究する必要があります。

来週の月曜日には、日食があります。いつどこで日食が見れるのか、日食が何なのか、私たちは知っています。神話が作られたときの人々にとってはどうだったでしょうか。日食を見てどう感じたでしょうか。農作業をしていたら、突然ゆっくり太陽が隠れはじめて辺りが徐々に暗くなるのです。大変だ!天照大神がまた岩戸にお隠れになった!踊りを踊らねば!そう思ったのかもしれません。

Written by  Cranberry Jam

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