アナリストレポートから資本市場の変革にチャレンジするTIWです

Toward the Infinite World

 
TIWマガジン「投資の眼」

TIWCafe

スマートフォンは使われ方がスマートとは言えない -Forever Young.-

新聞を読んでいてとても共鳴できるコラムが先日目についた。「荷を背負って歩きながら本を読む少年―――。江戸時代の後期に活躍した農政家、二宮尊徳の若き日の姿をうつしたとされる像は、それなりの年齢に達した日本人なら一度は目にしたことがあろう。全国の小学校の校庭などに陸続と建てられたのは大正のころからという。」で始まる。

次々と建てられたのは刻苦勉強して立身出世をとげ、世のため尽くす姿が、「坂の上の雲」を目指した近代日本の理想の人間像を体現していた気がするからとした。そして、筆者の田舎の小学校でさえとうの昔になくなってしまったが、近年、この像のある小学校の数が減っている背景には高度消費社会とか成熟社会などと形容される21世紀の日本には尊徳がいまひとつそぐはない人間像ということがあるのかもしれないと指摘する。

最近よくみかける歩きスマホ(スマートフォンを手に一心不乱に手元を見つめて歩いている人)を尊徳翁の像と重ね合わせる。ゲームやチャット、ネットサーフィンに没頭している人が大半とみられ、刻苦勉励の精神が盛り返している印象がないと転じ残念がる。さらには、歩きスマホでむしろ目につくのは身の回りへの注意力の低下だとする。線路に落ちたり、柱にぶつかったりと。そして、米国では著名な科学誌のコラムニストが「スマートフォンと呼ぶのをやめよう」と提唱したことがある。その理由はスマートとは「賢い」の意味だが使われ方がスマートとはとても言えないからだで締めくくられる。

筆者が気になるのは周りの人への配慮の低下だ。混雑した電車の中で少々電車が揺れる。スマホ族にスマホを持つ手で押される。電車内でスマホに夢中の乗客が両隣に座る。そんな機会は最近めずらしくない。ゲームで指を動かす頻度が多いためであろう。隣の乗客の肘が時々筆者の腕に当たる。スマートにはそもそも「きちんとした」、「よく気が利く」、「おしゃれな」などの意味がある。電車の中で足を投げ出して座りふんぞり返ってスマホを操っている姿も散見される。とてもスマートとは言えない。スマホの登場、そしてその使われ方をみるにつけ、「勤勉」、「和の精神」、「思いやり」などといった日本人の美徳が失われていっているような気がしてならない。こうした光景を前に尊徳翁なら何と言うのだろう。

Written by Forever Young.

[01.31.更新]