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アナリストコラム

黒田総裁のインフレ目標はなぜ未達だったのか?-客員エコノミスト 〜塚崎公義 教授-

2016年06月24日

(要旨)
黒田日銀総裁は、就任時に「2年でインフレ率を2%にする」と宣言したが、未達であった。それは、世の中に資金が出回らなかったからである。
リフレ派は、金融を緩和すれば世の中に資金が出回ると考えていたが、実際には資金は日銀から銀行に行き、そこから日銀に戻っただけであった。
しかし、金融緩和の「偽薬効果」で景気が回復しているため、時間が経てばインフレ率は2%に達するであろう。


(経済初心者向け解説)
■日銀総裁はなぜ物価を上げたいのか?
消費者物価指数というのは、我々が消費している様々な物やサービスの値段が全体としてどれくらい上がっているのか下がっているのか、調べた統計であり、消費者物価指数の上昇率をインフレ率と呼ぶ。つまり、インフレ率を上げたいという事は、物やサービスの値段を上げたいということである。それは困る、と思った読者も多いであろう。では、なぜ黒田日銀総裁は物価を上げたいと思っているのであろうか。

それは、インフレの反対すなわちデフレになると、景気が悪くなって失業が増えてしまうからである。物価が毎年上がっている国では、もしも金利がゼロならば、借金をしてでも来年買う予定の物を買う人が大勢いるので、物がよく売れ、景気が良くなる。

一方で、物価が毎年下がっている国では、金利がゼロだとしても、借金をせずに来年まで待った方が得であるから、物を買う人が少なく、景気が良くならない。金利から物価上昇率を差し引いた値を「実質金利」と呼ぶが、物価が下がる国では実質金利が高くなるので、物が売れないのである。

なお、現在日銀はマイナス金利を導入しているが、これは異例のことであるから、通常は金利はゼロより下がらないと考えておいて良いであろう。

他にも、物価が下がると、既に借金をして設備投資をしてしまった会社が、製品が安くしか売れず、一方で銀行はデフレでも借金は減らしてくれず、倒産に追い込まれる、といった場合もある。

■物価下落が困るなら、ゼロを目指すべきでは?
日銀は、物価を下げるのは得意である。物価を下げようと思ったら、金利を高くして景気を悪くすれば良いからである。景気が悪くなれば、買い注文が減るので物の値段は下がる。

一方で、日銀は物価を上げるのは不得意である。物価が下がっている時は金利をゼロにしても人々が買い物をしないので、景気がよくならず、物価も上がらないのである。

日銀は、インフレの目標どおりに物価を調節できるわけではない。風船の上からアクセルとブレーキを踏んでいるようなイメージである。従って、目標を定める時には、目標から外れる可能性も考えておく必要がある。日銀がインフレ目標を2%に定めたとして、結果としてインフレ率は0%から4%の間になるとしよう。それならば、特に大きな問題は生じない。

しかし、日銀がインフレの目標を0%に置いたとすると、問題が生じかねない。インフレ率が2%になれば、これをゼロにする事は難しくないが、インフレ率がマイナス2%になってしまった場合には、これを目標の0%に戻すのは大変なのである。

そうした事を総合的に考えて、黒田日銀総裁はインフレ率を2%にする、という目標を立てたわけである。消費者にとっては迷惑な話であるが、日本経済が元気にならないと、消費者の収入も増えないので、仕方ないと考えるべきであろう。

■日銀の金融緩和とは?
かつて、日銀の金融緩和というのは、「公定歩合の引き下げ」によって、安い金利で銀行に資金を貸し出すことであった。しかし、今では大量の資金を銀行に渡すことを指す。具体的には、銀行が持っている国債(日本政府の発行した借用証書)を日銀が買い取って、代金として札束を銀行に渡すことで、世の中にお金を出回らせようとするわけである。これを買いオペ(国債を買うオペレーション)と呼ぶ。

世の中に大量のお金が出回れば、高い金利でお金を借りたいという人がいなくなるので、金利は下がる。金利は貸したい人と借りたい人の数(厳密には金額)が等しくなるように決まるからである。

もっとも、黒田日銀総裁が就任する前から日銀は大量の資金を買いオペで供給していたため、市場金利(銀行同士の貸し借りの金利)はゼロであった。したがって、黒田日銀総裁が大胆な金融緩和(前任者を遥かに上回る巨額の買いオペを行なうこと)を行なっても、市場金利は下がらなかったのである。

黒田日銀総裁は、「金利は下がらなくても、世の中に大量の資金が出ていくことに意味がある」と考えていたのである。同様の考え方をする人々は、「リフレ派」と呼ばれている。

一方で、金利がゼロの時に大量の買いオペを行なっても、あまり効果は無いだろう、という人も(筆者を含めて)数多くいた。この論争は、非常に興味深い結果に終わったのであるが、その話はまた後日。

(本文)
■黒田日銀総裁は何を考えてインフレ率2%宣言を出したのか?
黒田日銀総裁は、「大胆な金融緩和をすれば世の中にお金が出回って、物の値段が上がるだろう」と考えていた。こうした考え方をする人を「リフレ派」と呼ぶ。

世の中では、多くあるものは重宝されず、少ないものが大切にされる。水よりダイヤモンドが価値があるのは、少ししかないからである。そうだとすると、世の中に出回っているお金の量と物の量の比率を変えれば物価が変わるはずである。世の中に出回る物の量が変わらずに、大量のお金が出回ったら、人々はお金より物を大切に思うであろう。つまり、多くのお金を出しても物を買いたいと思うであろうから、物価が上がっていく、というのがリフレ派の基本的な考え方である。

そこまでは良いのであるが、問題は世の中にどうやってお金を出回らせるか、ということである。

■銀行から日銀に現金が戻ってしまった
日銀は大胆な金融緩和によって、日銀から銀行に現金を移した。兎にも角にも現金が日銀から外に出て行ったのである。リフレ派はこれを、「世の中に大量の資金が出回った」と考えた。日銀から出て行った資金の額を「マネタリーベース」と呼ぶが、これが急増したのである。

リフレ派は、銀行が受け取った現金を貸出に用いるはずだから、銀行から更に外へ資金が流れていくだろうと考えていた。銀行から更に外へ流れていった資金の額を「マネーストック」と呼ぶが、これも増えると考えていたわけである。

しかし、そうはならなかった。銀行は、日銀から受け取った現金をそっくり日銀に送り返し、日銀に対して預金(銀行が日銀に預金している口座のことを準備預金と呼ぶ)してしまったのである。それは、資金需要が無かった(銀行から借りたいという客がいなかった)からである。銀行が貸したくない赤字会社は借りに来たが、銀行が貸したい黒字会社は借りに来なかったのである。

銀行の外に資金が出て行かなかったため、世の中に出回っている物の量と資金の量の比率も変化せず、従って物価も上がらなかった。黒田日銀総裁の予想は、こうして外れたのである。

じつは、黒田日銀総裁が考えていたのとは別のルートで物価が上がり始めている。景気が回復し、賃金も上がり始めたからである。景気がよくなれば物価も上がるが、それには時間がかかる。そこで、2年以内にインフレ率2%という目標のタイミングには間に合わなかった、というわけである。

■銀行員の経験と勘が経済学者に勝った
じつは、筆者には黒田日銀総裁の予想が外れることがわかっていた。筆者は元銀行員であるから、「日銀が追加で金融緩和をしても、銀行の貸出は増えないだろう」と容易に予想できたのである。これは別に筆者が偉いわけではなく、多くの銀行員が同じことを考えていたわけである。

黒田日銀総裁が就任する前から市場金利はゼロであった。それなのに、銀行の貸出は伸びていなかった。それは、資金需要が無かったからに違いない。

そもそも、黒田日銀総裁が就任される前、銀行は大量の国債を保有していた。あんな金利の低いものを喜んで持っていた銀行などあり得ない。借り手が見つからないから、仕方なく持っていただけである。それが現金に置き換わったからと言って、急に貸出が増えるはずが無いのである。

というわけで、なんと銀行員の「勘ピューター」が「経済学理論」に勝ってしまったわけである。もっとも、こうした事は珍しいことではない。経済は複雑すぎるので、経済学理論だけでは充分に説明できないのである。

100年後くらいには、経済学が進歩して世の中の出来事を説明したり予測したりできるようになると期待しているが、当分の間は筆者等の「勘ピューター」が活躍する余地がありそうだ。

なお、経済学と勘ピューターに御興味のある方は、拙ブログ「景気を語る人々」(http://ameblo.jp/kimiyoshi-tsukasaki/entry-12158101067.html)をご参照いただきたい。

塚崎公義 久留米大学商学部教授

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