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アナリストコラム

インフレ率2%は可能か -客員エコノミスト〜塚崎公義教授-

2016年04月15日

要旨)
・インフレ率は、資源価格下落の影響を除いても、日銀の当初目標を大幅に下回っている。
・ 今の日本でインフレになるとすると、需要サイドからは「貨幣数量説的インフレ」「景気過熱」が、供給サイドからは「輸入インフレ」「賃金インフレ」が考えられる。
・世の中に資金が出回らなかった以上、金融緩和から物価上昇までの時間がかかるのは当然である。
・今後は、長いタイムラグを経て、物価は上昇に向かい、インフレ率が2%程度にまで高まるであろう。

(おまけの要旨)
・賃金インフレは、景気が回復し、労働力不足になり、賃金が上がり、それが労働生産性上昇率を大幅に上回ってから本格化するので、タイムラグは結構長い。

(本文)
・日銀のアベノミクス当初のインフレ率目標は大幅未達
黒田日銀総裁は、就任当時、2年でインフレ率(前年比の消費者物価上昇率)を2%にすると宣言したが、3年経った今もインフレ率はゼロである。資源価格の大幅下落は黒田総裁の責任ではないので、これを除いても、1%程度である。
 今後についても、2%の達成には相当の時間を要しそうである。日銀自身の展望レポートでさえ、「2%程度に達する時期は、2017 年度前半頃になると予想される」としている。
 市場参加者は、永遠に2%にならないと考えているかも知れない。物価連動国債は、市場参加者がインフレを予想するほど高値で取引されるようになるので、物価連動国債と普通の国債のクーポンレートと価格を比べると、市場参加者が予想しているインフレ率が逆算できる(逆算した結果をBEIと呼ぶ)が、それがほとんど0%に止まっているのである。
 さすがに今後10年間のインフレ率の平均がほとんど0%という事はないであろうが、なぜこれほどまで物価が上がらないのか、考えてみたい。

・成立しなかった「貨幣数量説的インフレ」
今の日本でインフレになるとすると、需要サイドからは「貨幣数量説的インフレ」「景気過熱」が、供給サイドからは「輸入インフレ」「賃金インフレ」が考えられる。そのうち、黒田日銀総裁が最も期待していたのは「貨幣数量説的インフレ」であった。
これは、世の中に資金が出回ることにより、世の中の物の量と現金の量の比率が変化して、物の値段が上がる事を期待したものである。世の中にお金が出回れば物価が上がるという考え方を「貨幣数量説」と呼ぶ。これに基づき「ダイヤモンドは水より希少だから水より高価である」のと同様に「物が資金より希少であるから物は高価である」という事になると期待したのである。
しかし、実際には世の中にお金が出回らなかったので、こうした経路でのインフレは起きなかったのである。このあたりの詳しい事情は、拙稿「アベノミクスの狙いと成果(http://www.tsukasaki.net/report/report1504.html)」を御参照いただきたい。

・「景気過熱によるインフレ」はずっと先
景気には、回復しはじめると、そのまま回復・拡大を続けて景気過熱に至るという性質がある(本年1月5日付け本欄の拙稿「今年の景気は緩やかな回復を持続」御参照)。したがって、このまま推移すれば(海外要因で景気が落ち込む事がなければ)、いつかは景気が過熱してインフレになるはずである。
しかし、現在までの所、景気回復の足取りは弱々しく、到底「物が売れすぎて需要が供給を上回ってインフレになる」ような状況ではない。小泉内閣の時にも景気回復が緩やかであったので、数年間の景気拡大にもかかわらずインフレにはならなかった。今回も、需要超過でインフレになるには最低数年間はかかるのであろう。

・輸入インフレは一過性
ドル高円安による輸入物価の上昇は、国内の消費者物価指数を押し上げる要因となったが、インフレ率を2%にするほどの力は無かった。その後円安が止まる(ドルの値段が高値で安定する)と、1年後には前年比の円安率がゼロになるので、国内のインフレ率に与える影響もゼロになった。

そのうち、原油価格等が大幅に下落したので、最近ではむしろ輸入物価は国内インフレ率を抑制する方向に働いている。将来、原油価格などが戻る局面では国内のインフレ率が2%を超える事も考えられるが、元に戻るだけでは、戻り切った段階でインフレ率への押上げ効果が剥落し、インフレ率は再び2%を切るであろう。(そもそも原油価格が大幅に上昇して元の価格に戻る可能性は小さいと言われているが・・・)
いずれにしても、ドルの値段は永遠に上がり続ける事は無いので、影響は一過性であり、国内インフレ率が一時的に2%を超えたとしても、日銀の目標が達成されたと言う事にはならないであろう。

・賃金インフレには時間が必要
そうなると、消去法的に「景気回復で賃金が上がり、それが物価を押し上げる」パスしか残らないことになる。ところが、このパスは景気が回復を始めて3年も経つのに、目に見える段階に達していない。賃金上昇率が緩やかなことから、物価上昇に繋がっていないのである。
今後については、長いタイムラグを経て物価押上要因となるであろうから、いつかは物価上昇率が2%程度まで上昇することになろうが、そのタイミングについて予想する事は困難であろう。

(おまけ)
・賃金インフレのタイムラグは長い
景気が悪いときは、失業者が多いのみならず、社内の人々(正社員)もヒマである。不況で仕事が減っても正社員は簡単には解雇できないためである。

そこで、景気が回復をはじめると、社内でヒマにしていた正社員が忙しく働くようになる。1人の社員が不況期よりも多くのものを作るようになるので、製品一個あたりの人件費(単位労働コストと呼ばれる)はむしろ下落する。景気回復が続くと、次第に残業も増えてくる。しかし、その段階では雇用も賃金も変化が生じない。
更に景気が回復すると、会社が非正規社員を雇うようになる。この段階では、失業者が大勢いるので、安い賃金で好きなだけ非正規社員が雇える。そうなると、正社員との平均で見た「社員一人当たりの人件費」は低下するようになる。ちなみに、統計上、勤労者の賃金が上がっていないように見えている主因がこれである。
更に景気が拡大すると、失業率が低下してくる。そうなると、非正規社員を雇おうと思ってもなかなか人が集まらないようになる。そうなって始めて需要と供給の関係から非正規社員の賃金が上昇しはじめる。しかし、もともと非正規社員の賃金は水準が低いので、多少上がっても企業のコスト的には問題にならない。一方で、企業の単位労働コストは低下したままであるから、ますます問題は軽微である。

更に景気が拡大すると、企業は正社員の賞与を積み増すようになる。「利益のお裾分け」である。これは、計算上は企業のコストの上昇であり、単位労働コストを上昇させる要因であるが、「企業が儲かったからお裾分けをした」のであって、「賞与を払って経営が苦しいので値上げする」という企業は存在しない。
高度成長期であれば、企業は従業員の共同体であり、企業が儲かれば賃上げで社員に報いたものであるが、バブル崩壊後の企業は「株主の金儲けの道具」という要素が強くなり、利益が上がっても容易には社員に還元しないようになってきた。そうして見ると、企業にとっては終身雇用制で雇っている社員は「釣った魚」であるから、エサをやる必要がない。従って、需給で決まる非正規社員の待遇が改善する一方で正社員の賃金は上がらない(わずかに賞与でお裾分けがある程度)という事になる。これが現在の日本の状況であろう。
米国に於いては、企業は株主の金儲けの道具であるが、終身雇用ではないので社員は「釣った魚」ではない。他社に給料が見劣りすれば、いくらでも転職や引き抜きがあり得るので、米国の賃金は労働力需給に敏感に反応する。
日本は、「日本的経営が弛んで利益が社員の物から株主の物へと変化した」一方で「終身雇用制が残っているので社員は相変わらず釣られた魚である」という中途半端な状態にある。これが正社員の給料が上がらない要因となっているのである。

バブルが崩壊してから正社員の給料が上がった事が無いので、今後どのような状況で正社員の給料が上がって行くのかは、想像するしかないが、ある程度以上に労働力不足が深刻化すると、「優秀な社員が給料の高い会社に引き抜かれるようになる」「新卒採用の際にも先輩たちの賃金の安さが不利に働くようになる」といった事が起き始めるであろう。そうなれば、企業としても「釣った魚」である正社員の待遇も改善せざるを得なくなる筈である。
そうなれば、人材確保のための賃上げ競争が始まるであろう。それにより、単位労働コストが上昇すれば、企業が売値を引き上げざるをえない状況となり、ようやくインフレになる、というわけである。
ちなみに、製造業に比べて非製造業の方が賃金上昇によるインフレを起こしやすい。一つには非製造業の方が総コストに占める賃金のウエイトが高いからであり、今ひとつには非製造業の方が技術進歩による単位労働コスト低下の余地が小さいからである。

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