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アナリストコラム

ソーシャルゲーム -鈴木 崇生-

2009年11月20日

ソーシャルゲームという言葉が取りざたされるようになった。ミクシィ、ディー・エヌ・エー、グリーなどが有するSNS、プラットフォームが注目され、株価へ反映されるようになって久しい。
ソーシャルゲームの定義は曖昧で確たるものが無い。SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)上に展開されるゲームをソーシャルゲームとする人もいるし、社交性を伴うゲームをソーシャルゲームと呼ぶ人もいる。

私はソーシャルゲームが何であるかについて深く考えることはしていない。あえて言うと、ビデオゲームがネットワークを介在することによって呼称が変わっただけに過ぎないと考えている。
チャットや掲示板を介して同一のゲームを遊ぶコミュニティは、2000年頃に既にCGIをベースにした「箱庭諸島」や「ENDLESS BATTLE」に見られるし、世界規模で有名であろう任天堂の「スーパーマリオブラザーズ」や、例えば「ドラゴンクエスト」などのRPG、「ストリートファイター」などのアクションも、友人と競ったり、情報を交換したり、友達の家に集まって遊ぶなりと、ゲームが登場して既にソーシャル制は有していたと言わざるを得ない。
ただし、株式市場はSNS上で展開されるゲームがもたらす収益とSNSの媒体価値に注目しているので、とりあえずはSNS上で展開されるゲームをソーシャルゲームと置くのが正しいだろう。しかし、SNSでなくともソーシャルゲームは展開が可能(クロス・プラットフォーム戦略)と考えられるため、やはり定義は曖昧になって行くだろう。
故に私は、SNSに投入されたゲームが使われるのは至極当然であると考えているし、普及して当たり前との主張を持つ。特にSNSのユーザー人口年齢が若年層に偏る日本においては、彼等がファミリーコンピューター世代に該当することもあり親和性は高いと考えている。

ソーシャルゲームは第三波と期待するムーブメントが株式市場に湧いているように感じられる。ネットバブル、Web 2.0に続くキャッチコピーといえるかもしれない。
コンテンツプロバイダーにとってのビジネスを大まかにまとめてしまえば単価×人数となる。ある程度の属性がわかり、既に多数を抱えているSNSは格好の市場であろう。マーケティングコストが段違いに安いことに加え、ソーシャルゲーム自体の開発費用も抑えることが可能であるから損益分岐点が低い。
SNSへの提供自体も参入障壁が低いため既に数多くの企業が投入を始めている。mixiで最も登録者数の多いゲームはRekooという国外の開発元が提供したサンシャイン牧場であることからも窺えるように、グローバルにビジネスを展開することも可能である。既に米国で3億人のユーザーを突破したFacebookでは、Facebookよりも収益を稼ぐアプリケーションプロバイダーも登場している。夢の広がるビジネスチャンスかもしれない。

以前着メロで起きた勃興のように、名も無いベンチャー企業の中から大成する企業が現れるだろう。既にコンテンツを有するサードパーティの各上場企業も手がけてはいるが、収益規模が低く全社の業績へ与える寄与は小さいこと、また、経営体制の硬直化から柔軟に組織変更を行うことが出来ず市場関係者としての視点から見るとその動きは鈍い。大規模なレイオフを実施し、直後に2億7,500万ドルでソーシャルゲームを開発するPlayfishを買収したエレクトロニック・アーツと比べれば意思決定の速度に雲泥の差があると感じる。
先述したようにグローバルな市場であること、参入障壁が低いことから市場は急速に成長しよう。ネットワーク上に展開されたゲームのアプリケーションという枠組みで捉えれば、iPhone上で展開されるアプリケーションは急速に数を増やし、既にどのゲームがあるのかわからない状況になっている。結果として先のエレクトロニック・アーツも、国内勢ではコナミが0.99ドルという値下げを期間限定で敢行する事態に陥っている。収益性は高いが規模自体は小さいことからマーケティングコストをかけることが出来ず、期間限定の値下げにより一時的に値段ランキングで上位に登場させ、登録者数を稼ぎに向かう構図が鮮明となっている。
ソーシャルゲームは基本料が無料であるためこの手法は使えない。Facebookやmixiではプレイヤー自身が検索できるだけでなく友人からの招待という形でゲームは伝播するが、新しく導入したゲームを認知してもらう初期のハードルは日に日に高まるばかりであろう。急速に成長し優勝劣敗が早期に判明するが故に、成熟期の訪れも早いのではないかと懸念している。

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