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アナリストコラム

揺り戻し-GlobalizationからJapan Standardへ -藤根靖晃-

2008年08月29日

「日本と欧米では会社の成り立ちが違う。階級社会である欧米においては、民主主義、自由主義、マーケットメカニズムは支配階級が大衆から掠め取ることを正当化するシステムである。」「日本企業の強味は、一般の従業員が当事者意識を持っていることにあり、グローバルキャピタリズムは受け入れられない。」

グローバル主義者と目されていたある高名な大学教授は、最近”転向”とも言えるような発言をするようになった。

最近、邦訳が出版されたロバート・ライシュ教授の「暴走する資本主義」(東洋経済新報社)に触発されるかのように資本主義の変容と民主主義の弱体化が進行していると見る向きが増えているようだ。JPモルガン証券のチーフストラテジスト北野一氏も近著「なぜグローバリゼーションで豊かになれないのか」(ダイヤモンド社)において、脱グローバリゼーションが日本株上昇のための処方箋と述べている。

さて、小職もブログ「ラ・マンチャのアナリスト?to reach the unreachable stars?」や当メルマガにもこうした主張を断片的ではあるが記述してきた。筆者の主張は、グローバル化に適用させなければならないものと、ローカルを守り続けなければならないものとがある、というものである。

2008年5月9日の当メルマガにおいて、「グローバルとドメスティック」と題して上場市場によって違ったルールの適用を行うべきであることについて述べた。(以下、一部抜粋)

『グローバルが是で、ドメスティックが非という一元的なものであろうか? ドメスティック投資という投資概念も尊重されても良いのだろう。株主優待に対する期待や地元の雇用促進に繋がる、というような投資理由があっても良いだろうし、発行企業サイドもそうした株主を求めている場合も少なく無いだろう。』
(メルマガ・バックナンバー)
http://backnum.combzmail.jp/?t=bd46&m=fc60&p=2008050918_2606393405307637


“アクティビスト”も経営者に刺激を与えるという面では、市場に必要な機能ではある。しかし、投資家の全てがヒステリックなアクティビストになってしまったとするならば、経営者の保身から、合理化とコストダウンの進行による従業員の疲弊と、長期的な経営戦略の欠如から業績目標の達成にのみ意識が注がれることとなる。米国企業に於いてはこうした例は枚挙にいとまがない。日本でも既に資本市場はグローバリゼーションによる洗脳から近視眼的な行動に終始している。

2007年3月11日のブログに「弱い者達が夕暮れさらに弱い者を叩く」と題して企業年金連合会の取締役選任に関するROE 8%基準に対して疑義を申し上げた。
(一部抜粋)
『企業が純利益を向上させる目的として、取引先(下請け)への値下げ要求が一層強まる、ということが起こるならば、企業年金に入っている大企業の労働者にとっては年金の運用益が高まる期待がありますが、企業年金の無い中小・零細事業者(及び従業員)はコスト低減要求によりさらに厳しくなる構造が生まれるような気がしてなりません。』
http://www.fujine.org/archives/50435072.html

オピニオンリーダーとなり得る識者の認識に変化が認められる中で、(もちろん、グローバルとローカルといった単純に分類可能なものではないだろうが)これからの日本経済・社会は何にグローバル基準を適用し、何をローカル基準に置くのか、についての議論の活発化が期待される。

株式市場においても、ドメスティック企業に対する揺り戻し(放置された安値水準からの回復)もどこかの時点で起こるはずである。バリュー投資に大きなチャンスがあると考えている。

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