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アナリストコラム

日本製造業の競争力を歴史的な視点で考える -服部隆生-

2008年06月20日

PCや携帯電話といった製品で日本メーカーの国際競争力は高くないが、デジタルカメラなどの精密機器や電子部品では世界トップ企業を多く輩出している。日本の一部製造業に見られる卓越した競争力の背景にあるものについて、いつ頃まで遡れるか正確に答えるのは難しい。19世紀半ばの開国以来、多数の日本人を欧米諸国へ留学等で派遣すると同時に、欧米からの技術者を日本へ招聘し、急速に近代化に成功したが、これだけでは説明できない。実際、それ以前の江戸時代にも、江戸の繁栄を支える貨幣経済、社会インフラ、教育システムなどがかなり整備されていたとみられる他、からくり技術など発達させている点は注目に値する。動力伝達、機械化・小型化といった要素技術を培い、玩具から農業機械、測量機器等にも応用されている。1824年鳴滝塾を開設したドイツの医師シーボルトは当時の日本の農業技術の高さ、また普通の日本人の指先の器用さ、美意識の高さ(単にモノを作るだけでなく、芸術的に作るのが得意)を評価している。鎖国を通じた国の安定が、産業の裾野を広げ、輸送・流通・金融システムを強化し、技術革新に伴う農業の生産性向上と併せて、当時世界トップレベルの大都市、江戸の発展を支えたと考えられる。

さらに言えば、江戸時代より前の室町時代後半?安土・桃山時代頃には築城・土木技術の発達により都市の拡大を誘引した他、鉄や銅製品の加工技術の蓄積から武具や刀剣の製造技法を高めている。朱印船貿易を支えた造船技術もこの頃から急速に発達しており、当時はこれらを廉価に製造できる材料や製造工具などの市場が存在していたと考えられる。16世紀半ば以降、フランシスコ・ザビエルをはじめ多くの宣教師や商人が日本を訪れているが、彼らの多くが他の国々と比べた日本の先進性、文化水準の高さ、或いは日本人の好奇心の強さなどを指摘している。当時の手工業の水準の高さに驚いてもいる。私見ではあるが、スペインなど当時の欧州列強国が中南米やアジアの他の国々を植民地化できた一方、日本がそうならなかったのは、彼らが日本の技術に一目置いていたことが背景にあるのではないかと思う。

以上、考えてみると日本の技術力はある時点から突然劇的に高まったというより、長い歴史的背景の中で階段のように一段ずつ積み上げた蓄積の賜物といえるだろう。19世紀半ばの開国後、こうしたベース(土台)の上に、欧米から電気・電信・鉄道といった新技術を導入して近代化を急いだが、産業・工業の基盤やインフラ、職人レベルの手技といった観点からはゼロからの出発ではなかったといえる。独創性はそれ程でもないが、模倣力、或いは独自の改良は得意という傾向は日本人のDNAレベルにまで染み込んでいるのかもしれない。これらを背景として、素材から測定機器に至るまでハイテク産業を支える裾野の広い強固な産業基盤が、歴史に裏打ちされた競争力の源泉となっていると筆者は見ている。近年エレクトロニクス分野でアジア勢の躍進が目覚しく、日本も追いつかれるのではないかとの懸念もよく耳にすることがある。もちろん、全面的に楽観はできないが、長い年月の中で鍛え抜かれた競争力の背景というものを一方で忘れてはいけないだろう。   

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