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アナリストコラム

かつて巨額だった貿易黒字が消えた理由を考える –客員エコノミスト 〜塚崎公義 教授 –

2021年05月07日

■昭和末期の日本は貿易黒字が巨額だった
■アジア諸国の技術力向上で国際分業が進展
■貿易摩擦回避目的の現地生産が進展
■最近では日本企業が輸出より現地生産を志向
■国際分業により国内生産は技術集約化
■今後は少子高齢化が貿易収支を悪化させるかも
■経常収支は黒字を続けそう

(本文)
■昭和末期の日本は貿易黒字が巨額だった
高度成長期の日米繊維摩擦に始まって、昭和が終わってバブルが崩壊する頃までの日本は、貿易摩擦に悩まされ続けていた。それは、貿易黒字が大きかったからである。したがって、当時を知る人は日本を貿易黒字大国だと思っている人も多いだろう。

余談であるが、昭和の終わり頃、日本はバブル景気に沸いていた。その遠因は日本の貿易黒字が大きい事であった。貿易収支不均衡を是正するためにプラザ合意が開催されて猛烈な円高となり、それが金融緩和を通じて株価や地価を押し上げた事、円高でも輸出が減らないのを見た日本人が「日本経済は素晴らしい」という陶酔感に浸ったこと、等がバブルをもたらしたと考えられるからである。

しかし、じつは最近の貿易収支は概ねゼロ近傍で推移している。貿易黒字が減ったのは、多くの原発が止まっていることでエネルギーの輸入が巨額である事も一因ではあるが、日本の製造業が海外生産にシフトしている事が主因なのである。

■アジア諸国の技術力向上で国際分業が進展
プラザ合意により大幅な円高が進むまでは、日本は「資源等は国内で生産できないので仕方なく輸入するが、国内で生産できるものは原則として国内で生産する」という体制であった。戦後のドル不足期にそうした体制が成立したため、それ以降も製品類は国内で生産するという体制が維持されたのである。

ところが、プラザ合意による大幅な円高で、輸入品の方が遥かに安いという状況になり、製品類の輸入が増え始めた。主に増えたのはアジア諸国からの「品質は今ひとつだが価格が安い製品」である。

プラザ合意当時のアジア諸国には、買いたくなるような輸出品が少なかったが、その後は技術力の向上によりアジア諸国の輸出は拡大を続けた。日本企業等のアジア諸国への進出が技術力向上の大きな推進力となったのである。

日本企業等がアジア諸国の安い労働力を利用するために労働集約的な製品の工場をアジア諸国に作り、金と技術と機械を持ち込んだのみならず、販売先も提供した(日本等への逆輸入、米国への輸出等々)ので、アジア諸国の経済は急速に発展した。それに伴って地場企業の技術力も向上し、一層の経済発展と輸出増をもたらしたのである。

ちなみに、欧州諸国との間では、もともと物理的な距離の遠さや歴史的な関係の薄さに加えて、同じような物を得意としているので「お互いが得意な物を作って交換する」という貿易に馴染まないところがある。加えて、プラザ合意によって欧州通貨も対米ドルで値上がりし、日本製品との間の価格競争力に大きな変化は起きなかったため、製品輸入の増加はアジア製品ほどではなかった。

米国製品については、今ひとつ日本人の好みに合わないのであろうか、なぜかあまり輸入は増えていない。たとえば自動車は、欧州車が少しずつ増えている一方で、米国からの輸入はほとんど行われていないわけで、他の品目についても概ね同様なのであろう。

■貿易摩擦回避目的の現地生産が進展
かつて貿易摩擦が激しかった頃は、貿易摩擦回避目的の海外現地生産も活発に行なわれた。摩擦が激しかった米国では、自動車各社が工場を建てたほか、自動車以外でも様々な企業が工場を建てたのだ。

日本から最重要な部品を輸出し、それ以外は現地から調達するなりアジア諸国から輸入するなりして、それを組み立てるための工場を建てたわけだ。

貿易摩擦が沈静化してからも米国等での現地生産は増加を続けているが、その意思決定の際に貿易摩擦の記憶が作用している可能性、将来の貿易摩擦の芽を摘んでおこうとしている可能性、等は十分あるだろう。

■最近では日本企業が輸出より現地生産を志向
最近の日本企業は、消費地で作るという方針のようである。アベノミクスによるドル高円安で、日本製品の国際競争力は大幅に高まったはずであるのに、日本企業は「消費地で作る」という方針を貫いているようで、輸出はあまり増えていない。

アジア諸国の安い労働力を利用したり貿易摩擦を回避したりする目的で現地生産をするのは合理的な行動として容易に理解できる。それに対し、最近の日本企業が「地産地消」の動きを進めていることは、やや理解に苦しむところである。

日本で作って輸出した方が儲かるのであれば、わざわざ現地で作る必要はないのに、と筆者は考えているのだが、「国内生産と輸出を増やすと、次にドル安円高になった時に生産ラインを組み替えなければならないので、それを避けるために為替変動に影響されない収益体質を作る」と言うことなのだろう。

ちなみに地産地消の動きは、マクロ経済的にも望ましいことではなさそうだ。消費地で作るということは、「各国が得意なものを作って輸出しあう」という国際分業のメリットを失わせかねないからである。

■国際分業により国内生産は技術集約的に
国際分業は国内生産を得意な製品に特化させる。日本が繊維製品等々を輸入をするのは国内製品に比較優位が乏しいからであり、海外現地生産は比較優位が小さい製品類から順番に進められるはずだからである。

アジア諸国の技術力が低かった頃は、繊維製品等々が輸入され、機械等々が輸出されていたが、最近では電気製品はアジア諸国からの輸入が非常に多い。もっとも、心臓部の部品は日本で作って輸出され、それ以外の部品はアジア諸国で調達して製品化し、完成品を日本に輸入するという国際分業が行われているわけである。

自動車についても、現地生産の動機が何であれ、日本が得意とする技術集約的な心臓部の部品は日本で作り、それ以外の部品は海外で調達するのであれば、日本国内の製造ラインは技術集約的なものに特化されていくはずである。

その意味では、地産地消を目指した現地生産であっても、国内生産を技術集約的なものに特化させるという面では、日本経済の長期的な発展に資するのかも知れない。

■今後は少子高齢化が貿易収支を悪化させるかも
今後は、少子高齢化で労働力不足となり、製造業が労働力の調達に苦労するようになるかも知れない。極端な場合には現役世代が全員で高齢者の介護をしているために製造業は物が作れずに製品類はすべて輸入している、という事になろう。

もちろん、そこまで極端な事は起きるはずが無いが、それに一歩ずつ近づいていく事は想像に難く無い。そうなれば、貿易収支は悪化していくであろう。

その場合、日本にとって好都合なのは、労働集約的な生産ラインは海外に出ていき、技術集約的な製造ラインが国内に残っているため、残った僅かな労働力でも多くの製品が作れるということであろう。

ちなみに、貿易収支や経常収支等については黒字が善で赤字が悪とは限らないのだが、一般に黒字の縮小、赤字の拡大を「悪化」と呼ぶことが多いので、本稿もそれに倣っている。

■経常収支は黒字を続けそう
少子高齢化によって貿易収支は赤字となるかも知れないが、それが直ちに経常収支の赤字化を招くわけではない。海外現地生産は、海外子会社からの利益の配当が本社に入るほか、技術指導料的な支払いも海外子会社から本社に向けて行われるので、貿易収支以外の経常収支の項目(サービス収支、第一次所得収支)の黒字が拡大するからである。

その意味では、経常収支が赤字になり、対外純資産が減り、日本が海外から借金をしなければならない国になる、という心配は当分なさそうだ。

日本のように政府が巨額の借金をしていると、その借金を国内で調達できているか海外資金に頼っているか、という点が問題となり得るが、対外純資産がそれほど減らず、政府の借金が国内で調達できるのであれば、それは大きな安心材料だと言えるだろう。

本稿は、以上である。なお、本稿は筆者の個人的な見解であり、筆者の属する組織等々とは関係が無い。また、わかりやすさを優先しているため、細部が厳密ではない場合があり得る。

(4月28日発行レポートから転載)

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