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アナリストコラム

為替レートの適正水準を考える –客員エコノミスト 〜塚崎公義 教授 –

2021年05月28日

■貿易収支を均衡させるのが「適正」な為替レート
■過去との比較を見るなら実質実効為替レート
■品質向上、現地生産化等々の影響に要注意
■「円安だから修正されるだろう」は危険かも
■経常収支黒字分も対外直接投資で還流中

(本文)
■貿易収支を均衡させるのが「適正」な為替レート
変動相場制に於いては、為替レートは市場で決まるのだが、全く自由に動いているわけではない。「適正」な為替レートがあり、その近くを動き回っているだけである。

「適正」というのは、貿易収支(正確には貿易・サービス収支)を均衡させるという意味である。もしも1ドルが1円だったら、日本人が銀行でドルを買って米国に買い物に出かけるだろうから、銀行にはドル買い需要が殺到してドルが値上がりしていく筈である。

1ドルが1000円ならば、反対に米国人がドルを売って日本に買い物に来るだろうからドルは値下がりするはずだ。したがって、1ドルが100円近辺で貿易収支が均衡するならば、それが「適正」なレートと言えるだろう。

もっとも、これは相当広い幅をもった話である。日米の自動車貿易だけを考えるのと食料品貿易だけを考えるのでは、適正レートが全く異なるため、自動車の輸出額と食料品等の輸入額が概ね等しくなって全体としての貿易収支が概ね均衡するようなレートが適正だ、と言えるわけである。

加えて、対米貿易だけを見れば良いというわけでもない。日本は対米貿易は黒字だが、中東からの原油輸入分は赤字なので、そうした事も考え併せる必要がある。

過去30年ほどの為替レートの推移を見ていると、概ね1ドルは80円から120円の間で推移しており、時々大きく動いても再び戻ってくる、といった動きとなっているので、大雑把に100円近辺が「適正」なのであろう。

■過去との比較を見るなら実質実効為替レート
しかし、ここで疑問なのは、過去30年の物価上昇率が日本と米国では全く異なっていたので、30年前に適正だったレートと今の適正レートが同じだというのは不自然だ、という事である。

これを数値化したのが実質実効為替レートというものである。これは筆者が「輸出困難度指数」と呼んでいるもので、今の為替レートがどれくらい輸出に不利であるかを数値化したものである。

具体的な計算方法は、「日米間の物価上昇率格差分だけ為替レートが円高になっていれば指数は一定とし、それより円安なら指数を減らし、円高なら指数を増やす」というものである。その作業を日米間のみならず他の貿易相手国との間でも行なって、貿易ウエイトで加重平均するのである。

日銀のホームページに載っている数字を見ると、今の為替レートが過去の水準と比べて明らかに輸出困難度が低い(円安だ)という事がわかる。

■品質向上、現地生産化等々の影響に要注意
実質円安なのに、日本の貿易収支は概ねゼロで推移している。30年前は大幅な黒字だったのに。これを説明する要因は、為替レート以外から探す必要があろう。

要因は多数あろうが、特筆すべきはアジア諸国の技術進歩によって為替レート以外の競争条件が変化し、アジア諸国からの輸入が増えたことであろう。アジアの企業との競争条件という事にとどまらず、日本企業が生産拠点を置く場所を国内にせずにアジア諸国にする、という意味でも競争条件の変化の影響は大きかったと言えるだろう。

今ひとつ特筆すべきは、アジアに限らず日本企業の現地生産が増加したという事であろう。かつては貿易摩擦回避のために輸出を控えて海外で現地生産を行なった企業も多かったが、最近では「地産地消」を目指して消費地で作るという動きが活発なようである。

重要なことは、こうした動きは今後も続きそうだという事である。アジア諸国の経済発展は当分続きそうであるし、そうなると技術進歩による競争条件の変化も続く可能性が高いだろう。

日本企業の「地産地消」志向も続きそうである。「為替レートの影響を受けない収益構造」を目指す動きが日本企業に根付いているように見えるからである。

加えて、今後の日本は人口減少が続き、市場としても生産力の面でも大きな発展が望めないため、早いうちに海外に進出してグローバルに稼げる体制を作りたい、といった発想も後押ししているようにも見える。

■「円安だから修正されるだろう」は危険かも
論者の中には、「実質実効為替レートを見れば、今の為替レートが円安すぎる事は明らかである。したがって、短期的にはともかく、長期的には円高方向の力が働いて、いつかは修正されるだろう」と言う人も少なくない。

しかし、筆者はそうは考えていない。上記のように、為替レート以外の競争条件等々が日本の貿易収支を縮小させていて、その力は今後も引き続き働き続けると思われるからである。

そもそも、妥当な為替レートというのは貿易収支を均衡させるレートであるから、現状の貿易収支が均衡しているという事は、現状の為替レートが妥当であるという見方も可能なのであって、実質実効為替レートは妥当な為替レートについて考える際の材料の一つに過ぎないのである。

ちなみに筆者は円高になる可能性を否定しているわけではない。円高になる可能性も円安になる可能性もあるが、どちらになるかは現時点では何とも言えないし、たとえば大きく円高になった後で大きく円安になるかも知れない。

本稿が示唆するのは、「為替レートだけを見ると円高になりそうな気もするが、どちらに動くかは五分五分だと考えておいた方が良い」ということである。

■経常収支黒字分も対外直接投資で還流中
ちなみに、経常収支は大幅な黒字である。内訳としては、貿易収支とサービス収支が概ね均衡している一方で、所得収支が大幅な黒字となっている。過去の経常収支黒字が対外純資産となり、巨額の利子と配当をもたらしているからである。これをどう考えるべきであろうか。

貿易収支であれ所得収支であれ、日本人が海外との取引で多くの外貨を稼いでいるわけだから、それが市場で売りに出て円高圧力となるはずだ、という考え方はあり得るだろう。しかし、筆者はそうは思わない。理由は一般論と日本の現状について各ひとつずつある。

一般論としては、貿易黒字に比べて所得収支は円高圧力となりにくい。輸出企業は持ち帰ったドルを円に替える必要がある。従業員の給料を円で支払うからである。しかし、海外の債券や株を持っている投資家は、受け取った利子や配当を海外で再投資する場合も多いので、所得収支黒字は必ずしもドル売りの圧力とはならないのである。

日本の現状としては、企業が積極的に対外直接投資を行なっているため、経常収支黒字で日本に入ってきたドルが対外直接投資の原資として買われてしまい、ドル安の圧力とはなりにくいのである。

対外直接投資が活発である理由としては、上記のような海外現地生産のための投資も巨額であろうし、海外企業の買収の動きも盛んである。やはり人口が減っていく日本経済より成長が見込まれる海外で稼げる体質を目指している企業が多いのであろう。

こうした事を考えると、経常収支が黒字だから円高圧力が働く、と単純に考える事も危険であろう。やはり、現状からはドル高要因とドル安要因が同じくらいに併存している、と考えておくべきなのではなかろうか。

本稿は、以上である。なお、本稿は筆者の個人的な見解であり、筆者の属する組織等々とは関係が無い。また、わかりやすさを優先しているため、細部が厳密ではない場合があり得る。

(4月30日発行レポートから転載)

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