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弱者を弱者であるというだけで正当化するべきではない -wildernesswolf-

2016年08月19日

自転車はマナーが悪いという話がずっと言われてきた。確かに昔はマナーの悪い人が多かったし、(自転車が)車道を走ることが求められてから車を運転していると自転車にイライラさせられることも或る。しかし、最近、コミュニティサイクルを使って自転車での移動が増えてくると、一番マナーが悪いのは自転車ではなく、歩行者であることに気づく。信号が点滅してから横断歩道を渡り始めるなんて日常的であるし、赤信号になっても急ぎもしない。中には(20mくらい)近くに横断歩道があるにもかかわらず、自動車(以下、車)が来ていても堂々と車道を横断する。車道の真ん中を堂々と歩き、車が来ても殆ど避けもしない、ましてや自転車に対しては(車道であっても)避けるのは自転車の方だと思っているようだ。

車は、自転車や歩行者に、もしぶつけてしまえばその過失責任を大きく問われる。責任とリスクを負っている。自転車も相手が歩行者であれば責任を負う。歩行者は、本来の過失の大部分が歩行者本人にあったとしても(命を危険に晒すことはあっても)過失責任を問われるケースは稀である。

一般論として歩行者全部を否定するつもりはない。しかし、車に乗る人は歩行者でもあるし、自転車に乗る場合もあるだろう。自転車に乗る人も歩行者でもある。そういう意味では自分が歩行者の場合にとるべき態度は認識できるはずだ。歩行者には車も、自転車も乗らない人が多く含まれる。その結果、歩行者にはマナーが悪い人が確率的には多くなるように思われる。

話は異なるが、弱い立場にある者は守られなければならないという考え方自体は否定するつもりはない。しかしながら、その立場を逆手にとって被害者然として(一般に強者と言われる)他者を非難する風潮が広がっているようにも思う。

もちろん、当事者以外では分かりえない状況では、立場の弱い者を保護・尊重すべきであるのは言うまでもない。しかし、交差点など監視カメラが普及してきた現状においては、過失がどちらあるのかを証拠として明確にすることが可能になりつつある。オリンピックを含めてスポーツではビデオ判定が一般的になりつつある。
そうした点を踏まえて、社会の規範・ルールも変えてゆく必要があるのだろう。

立場が弱いというだけで保護されるべきという依存的な意識(=甘え)が平和ボケした日本社会では強いように思える。それが、払拭されることによって、社会全体のマナーが向上し、また、茹で蛙状態から日本は脱出できると思う今日この頃である。

By: wildernesswolf

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