メニュー
TIW Cafe

手紙 -Cranberry Jam-

2016年06月10日

手紙には独特の魅力があります。面と向かって言いづらいことでも手紙でなら伝えられることもありますし、手書きの文字には人柄が表れて温もりがあります。かつての文豪太宰治は、恋人に宛ててこんな手紙を書いています。

『拝復 いつも思つてゐます。ナンテ、へんだけど、でも、いつも思つてゐました。正直に言はうと思ひます。お母さんが無くなつたさうで、お苦しい事と存じます。いま日本で仕合せな人は誰もありませんが、でももう少し、何かなつかしい事が無いものかしら。私は二度罹災といふものを体験しました。三鷹はバクダンで、私は首までうまりました。それから甲府へ行つたら、こんどは焼けました。青森は寒くて、それに、何だかイヤに窮屈で、困つてゐます。恋愛でも仕様かと思つて、或る人を、ひそかに思つてゐたら、十日ばかり経つうちに、ちつとも恋ひしくなくなつて困りました。旅行の出来ないのは、いちばん困ります。僕はタバコを一萬円ちかく買つて、一文無しになりました。一ばんおいしいタバコを十個だけ、けふ、押入れの棚にかくしました。一ばんいい人として、ひつそり命がけで生きてゐて下さい』

日々の暮らしや出来事を雑記のように書き記しつつも、恋人を気遣う気持ちや、会えずに寂しい気持ちが見え隠れしています。そしてこの手紙は、欄外のこの一言で結ばれています。

『コヒシイ』

本文ではハッキリとは語られなかった想いが、そして一番伝えたかった思いが、欄外にひっそりとまるでオマケのように、記されていました。好きな人に想いをしたためるとなると、なかなかうまくは言葉にできないものです。太宰治でさえ、そうだったのでしょう。

Cranberry Jam

TIW Cafe 一覧 TOPへ戻る