上野の森美術館で開催中の「ボストン美術館浮世絵名品展 北斎」に行きました。ボストン美術館から浮世絵がやって来る企画展は、2008年に第一回が開催されて今回が最終回です。ボストン美術館は日本美術を多数所蔵しており、1904年からは岡倉天心が勤務し1910年には日本美術部長に就任しました。ボストン美術館の浮世絵は、門外不出と言われ近年までは公開されることが少なかったために、極めて保存状態が良好です。まるで、いま摺りあがったかのような色鮮やかさな浮世絵を見ることができました。
浮世絵が生まれたのは17世紀半ば。墨摺絵と呼ばれる墨一色の版画でした。その後、手で着色する肉筆画が登場しますが、庶民には手が届かない高価なものでした。18世紀には多色刷りの技法が生み出されます。多色刷りの発展とともに、専門の職人による分業体制が確立しました。まず絵師が下絵を書き、次に彫師が木の板を彫って版木を作り、仕上げに摺師が色を付けます。彫師は色数に応じて複数枚の版木を作り、摺師は色ごとに版木を変えて刷っていきます。版木の端にある「見当」に絵を当てることで、一枚の紙にずれることなく何色も重ねることができます。こうした分業により浮世絵は大量生産が可能になり、値段が下がったために庶民に広く普及しました。
江戸時代後期の浮世絵の価格は、大判(39×27cm)で20文、細判(33×15cm)で8文です。二八蕎麦が一杯16文なので、現在の貨幣価値に換算すると、大判でも400円程度でした。人気作品の発行部数は1万枚を超えることもあり、あまりにも数多く流通して安価だったためか、日本では浮世絵が価値ある美術品であるという意識はありませんでした。しかし海外での評価は違いました。ヨーロッパの印象派の画家たちには大きな影響を与えました。ゴッホは何度も浮世絵を模写し、原色を使った鮮やかな色彩と大胆な構図は浮世絵から学んだと言われています。以前私は海外旅行中に、あるイギリス人から「日本の漫画はアートだと思う」と言われてあまりピンと来ませんでしたが、江戸時代の人も「浮世絵は芸術だ」と言われてもピンと来なかったことでしょう。
浮世絵は、当時の風俗を生き生きと描いています。主なジャンルには美人画・役者絵・風景画などがあります。美人画ではふくよかな顔つきや豊かな髪など女性の美しさが、役者絵では人気の歌舞伎役者が描かれました。これらは現在で言えばアイドル写真集や芸能ゴシップ雑誌のような存在でした。歌川広重の「東海道五十三次」では江戸と京都を結ぶ東海道の宿場が描かれています。これは現在で言えば旅行ガイド本「るるぶ」のような存在で、人々は美しい風景や各地の風俗を眺めて旅への憧れを募らせました。浮世絵は、単に美しさや芸術性を追求したものではなく、庶民の生活に根ざしたユニークな娯楽絵であり、庶民の興味に応えるメディアとして発展していきました。
さて「ボストン美術館浮世絵名品展 北斎」の中で私が最も興味を引かれたのが、「組上げ絵」でした。一枚の絵から、ガイド線に沿ってパーツを鋏で切り抜き、のりしろを貼り合わせて組み立てると、ジオラマのようなものが出来上がります。展示されていた北斎の作品は「しんはんくみあけとふろふゑ 天の岩戸神かぐらの図」という名前で、組み立てると天の岩戸に隠れる天照大御神とそれを取り囲む神々の様子が生き生きと表現されていました。これには絵の才能だけでなく、限られた紙面にうまくパーツを配する技術も必要だったようです。
日本で生まれた作品なのに海外にしか残っていないことは残念に思いましたが、その一方で、日本で大きな価値を見出されなかったものが海外で高い評価を受けて美術館で大切に保存されているということに、少し嬉しく思いました。
Written by Cranberry Jam