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永遠の0 -Cranberry Jam-

2014年01月17日

映画『永遠の0』を見ました。動機は不純でした。ジャニーズの岡田くんが主演だったからです。戦争映画は好きではないので特に期待はしていませんでしたが、予想外の傑作でハンカチを濡らさずにはいられませんでした。

主人公の大石健太郎は今どきの若者。健太郎は、祖母である大石マツノの葬儀の際に泣き崩れる祖父の姿を見て驚きますが、実はその祖父とは血が繋がっていないと聞かされて衝撃を受けます。そして実の祖父がどんな人だったのか興味を持って足跡を調べるにつれ、その稀有な人物像が浮き彫りになっていきます。実祖父である宮部久蔵は、ゼロ戦のパイロットでした。そして祖母マツノのことを誰よりも愛していた。生きてマツノの元に帰りたい。そのため誰よりも死を避けていた。なのになぜ、終戦間際に久蔵は自らの意志で特攻を選んだのか。久蔵がマツノと交わした約束。その約束は果たして守られたのか。運命の糸が手繰り寄せられるように、少しずつ真相が明らかになっていきます。

後日、ゼロ戦が展示されている遊就館に行きました。遊就館は靖国神社の中にあり、会社から徒歩10分です。戦争にまつわる様々な物が展示されており、宮部久蔵のように特攻で命を落とした若者達の直筆の手紙もありました。

靖国神社は、安政の大獄以来の国事殉難者およそ250万人の霊を祀った神社です。坂本龍馬や吉田松陰も祀られています。御神体は御剣と御鏡です。遺骨や位牌はありません。ここにあるのは、神さまとして祀られた霊がそこに居るという宗教上の観念です。坂本龍馬も名も無き一兵卒も、等しく神さまとして大事にされています。

宗教文化はそれぞれの国で違います。アメリカでは、大統領は聖書の上に手を置いて宣誓しますし、アーリントン国立墓地ではキリスト教の様式に則って戦没者の追悼を行います。日本は、神道と仏教が守る宗教文化のもとにあります。神社とお寺が一体となって、宗教精神伝統を守っています。日本では神さまと言えば八百万の神。森羅万象すべてに神が宿り、人も死ねばみな神さまです。例えA級戦犯であろうとも、死んだら神さまになるというのが我が国独自の宗教文化であり、他国の宗教文化に口出しすることはウエストファリア条約違反です。

そもそもA級戦犯は犯罪人ではありません。A級戦犯とは、東京裁判においてロンドン憲章の第6条A項に違反したとされた人です。第6条のB項違反がB級戦犯です。A級・B級とは罪の重さではなく類型です。この憲章の成立は1945年8月8日。つまり連合国は、近代法の大原則である「法の不遡及」を破り、ルール成立前の日本人の行為をルール違反だとして裁きました。東京裁判は、裁判という名を借りた戦勝国による報復劇にすぎず、国際法上の根拠を持ちません。関ヶ原で勝った徳川家康が、石田三成のことを「平和に対する罪を犯したA級戦犯だ!」と言うようなものです。

1980年5月21日教皇ヨハネ・パウロ2世はサン・ピエトロ大聖堂で、A級戦犯・BC級戦犯として処刑された人々への追悼ミサを行い、1068柱の位牌が奉納されました。東京裁判で戦犯という汚名を着せられ処刑された方々は、日本の国難に殉じたのであり、靖国神社に祀られたのは当然のことです。

今日の私達の生活があるのは、ご先祖さまのおかげです。そして靖国神社は、先祖崇拝という日本古来の信仰に基づき、氏子と氏神の関係で成立している日本の伝統習俗そのものです。日本を研究しているロマノ教授はこう言いました。「国のために命を捧げた人たちの御霊を一つの神社に合祀し、国の守り神として国民全体で祀るという発想は、日本文化の素晴らしい成果である。」

映画『永遠の0』は、あの悲惨な戦争は決して他人事ではなく、あの戦争と全く無関係に生きている日本人は一人もいないという事を教えてくれます。2時間半の本編が終わってエンドロールが流れている時、サザンのエンディング曲『蛍』と共にアチラコチラから啜り泣く声が聞こえてきました。拍手をしている人もいました。館内が明るくなるまで、みな席を立ちませんでした。素晴らしい映画体験を共有したという一体感が、館内の空気を包んでいました。

主演の岡田くんの演技には目を見張るものがありました。憔悴して死の淵に追い込まれていく宮部久蔵を、死神が憑依したかのような表情で見事に演じていました。やっぱり岡田くんはカッコイイ。そう思いました。

Written by Cranberry Jam-

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