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明治時代の2つの絵画様式 -Rilakkuma-

2012年02月10日

竹橋の国立近代美術館に立ち寄ってみた。横山大観が、画面一面に海を描いた満ちくる朝潮に静かな海を思い浮かべる。
日本画の技法により、群青や、辰砂(赤)の顔料を用いた美しい発色に見入る。
いくつかの日本画を通り過ぎると、次は同時期の洋画家 原田直次郎による騎龍観音が目に入る。ドイツで学んだ彼は、遠近法による写実と油彩画の迫力で日本の伝統的な観音図像をあらわした。

明治時代の絵画は興味深い。同じ時代に、全く対称的な描き方が共存した。近代化を推し進める明治政府の国策は絵画表現にまで及び、芸術家を招き、イタリアやフランスの絵画技法を導入し、洋画というジャンルが生まれた。日本にも西洋と同水準の絵画があると見せるための、皮肉な背景から生まれた芸術でもある。
これに対し、横山大観をはじめとする”日本画”は、洋画の推進の中で忘れ去られそうになった日本の絵画的な芸術を呼び起こすために生まれたジャンルだった。日本の文化とは?伝統の表現とは?明治政府の国策、国粋主義の後ろで、国を愛する自然な気持ちから創作が始まった。西洋の画材を使わず、顔料を溶いて膠で定着させながら描く。しかし技法の違いだけでは説明しきれない歴史を背負った芸術だ。

自国を愛する自然な感情を、愛国心という。一方でそこに優劣意識を混在させ、政治思想や国策に祀り上げる事をナショナリズムという。アメリカだけでなく、欧州でも各国が大統領選を控えているが、極右政党の存在感は年々増している。
2002年には、フランス大統領選において、第五共和制以来初めて、極右政権の代表が右派シラク氏の次に、左派を離して極右政党の国民戦線が得票したのだ。理由は、左派も右派も政策の違いが見えず、左派への失望から国民の票が極左や極右に流れたため。若者をはじめとする棄権票が増えた。現在のアメリカと同様だ。更には治安悪化から移民排斥の感情が人種差別と極右の肯定として表れた。

私はこの速報を、学友達と郊外に向かう車の中で聞いた。反勢力、個人主義を自負しているフランス人にとって、この結果、「本当はフランスは極右の国であった」という結果は、民主主義の崩壊を意味し、致命的ショックであった。極右は、自国を優越とみなし、欧州の統合といった前向きな理想にも反対。グローバルな成長を否定する。
今年の大統領選では極右はどこまで躍進するだろうか。理解すべきことは、政党が方向性を失うと、ディクタチュール的危険な思想に人間が影響されていくとなのだろう。人間は影響される生き物なのだから。
パリ大学の講義室で、教授は教壇に座るなりこういったのが思い出される。
「そもそも、私たちがこうして様々な研究をひもとく作業をするのは、正しい民主主義に向かうためなのです。その目的を、明確にしましょう。」

明治時代の美しく、異なる2つの絵画様式をじっと見つめていた。懐かしい大学の講堂が回顧される。目の前では、竹橋の美しい夕焼けが空を染めていて、大観の海が波打っていた。ナショナリズムの欺瞞と、より強い主張により新しい美術史を作った日本画。
世間の大流の中に身を任せることなく、常に自分の理論を主張していこう。
より良い、世の中のために。
静かな決心に、心が躍動した。

Written by Rilakkuma

“満ちくる朝潮”
近代日本画を語る際に、横山大観の名を欠かすことはできない。明治以降、洋画が急速に台頭してゆく状況を危惧したフェノロサや岡倉天心によって新日本画の創造が目指されるが、大観は天心の指導のもとで、新時代の日本画創造に挑戦し続けた画家である。

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