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心に残る演奏 -Rilakkuma-

2011年12月22日

雪に包まれた冬の軽井沢を見たくなり、旅に出たことがあった。
夏の間にあれほどに賑わう駅前も、旧軽井沢銀座も、ひっそりと静まり返って、自分の歩く靴音だけが響く、荘厳な夜だった。

気ままに選んだペンションに泊まった。夫婦で営む手作りの宿という事だった。設計もイギリスのアンティークの家具も、ペパーミントグリーンの壁紙もご主人が選んで、奥様の作ったドライフラワーやパッチワークが、壁を埋め尽くしていた。所々に絵が掛けられていた。地元の画家が描いた、小諸や中軽井沢、浅間山の水彩画で、高原の植物のような、みずみずしい繊細なタッチが美しかった。

夕食は、ペンションの庭で取れた野菜や、地元の食材を使った料理が丁寧に運ばれた。ぱちぱちと舞い上がる、暖かい暖炉の火を見つめながら頂いた。ご主人が、軽井沢の冬の景色が見せる、夏とは異なる、息を飲むような美しさについて、話してくれた。

眠る前に、小さな居心地のよい部屋の窓から、満天の星空を見た。吸い込まれそうな星の数で、流れ星が行く筋も落ちた。
星座の名前をひとつずつ思い出しながら、形を探して夢中になっていた。その時突然、階下から、美しいチェロの音楽が聞こえた。ご主人が暖炉の前で練習をしている。メロディーに流されることのない、規則的なバッハの練習曲だった。
やがて抑制された音の運びの中に、溢れるような情緒的な表現が見え隠れし始めた。
冬の軽井沢の星空を見ながら、無伴奏のチェロ・ソナタの美しい旋律が、心に染み込んでくる。
一日の仕事を終えたご主人は、静かな軽井沢の厳冬の夜を、毎日こうして、チェロを弾いて過ごすのだろう。
誰もいない避暑地の冬、高原が呈する自然美の夜の中で、無心にチェロを演奏するのは、どんな気分だろうか。ご主人はどうしてこの土地に来たのだろうか。演奏はずっと続いた。どんな豪奢なホールでも聴いたことのない、暖かく深い、語りかけるような音色に、ベッドの中でずっと耳を傾けていた。その日はそのまま眠ってしまったけれど、それは心に残る演奏だった。
日常のざわめきに、心の声がかき消されそうになるとき、あの時の音色が、ペンションの暖かい光と共に、私の心に蘇ってくる。いつまでも、心に響く、軽井沢で聴いたチェロの音。感性が深められる土地への憧憬に、気持ちが強く沸き立つ時がある。

Written by Rilakkuma

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