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歳神様 -Cranberry Jam-

2011年12月16日

年の瀬が迫ってきました。一年で最もそわそわするときです。クリスマスプレゼントを買ったり、帰省のチケットを手配したり、年賀状を書いたり、大掃除をしたり、お年玉の心配をしたり、お歳暮に頭を悩ませたり、なにかと忙しい時期です。

今年は円高の影響もあり、お正月を海外で過ごす人が例年より多いようです。うらやましいなぁと思う反面、お正月こそは日本で過ごしたいとも思います。ご経験のある方も多いと思いますが、海外で迎えるお正月は、多くの場合私たち日本人にとっては実に味気なく、無味乾燥に感じてしまいます。私はタイでお正月を過ごしたことがあります。お店が閉まって困るかなと思いきや、ほとんどのお店が1月1日も通常営業。ショッピングモールにいたってはクリスマスの飾り付けがそのまま残っており、もちろん福袋などありません。人々は着飾るわけでもなく、新年のお祝いの言葉を交わすわけでもなく、特別な料理を食べるわけでもなく、ただの「年が変わった最初の一日」でしかないのです。

強いて特別な事と言えば年越しの瞬間の花火や爆竹がうるさかったくらいのものです。しかも日中は真夏の暑さです。元日は特別な日だという思いがあっただけに拍子抜けもしましたし、少し仰々しく言うと、年越しなのにうまく一年の穢れを祓えなかったような気さえしました。国によってだいぶ事情は異なるでしょうが、西洋においても似たり寄ったりな気がします。ジョンレノンの歌の歌詞で”A very merry Christmas And a Happy New Year”という一節がありますが、年が明ける前に”Happy New Year”と言うのはどうもしっくり来ませんし、年越しの瞬間セントラルパークで上がるド派手な花火も、日本人の心情には合いません。日本ほど「1月1日」を大切にする国はないのではないでしょうか。

正月とは、豊穣を司る歳神様をお迎えする日であり、仏教伝来よりも前から日本に存在する行事です。歳神様をお迎えするために、門松やしめ縄や鏡餅を飾ります。もともと正月とは迎春という言葉のとおり春の始まりであり、人々は春の訪れがもたらす生命の誕生を心から喜びました。「めでたい(芽出度い)」という言葉は「新しい春を迎え芽が出る」という意味があります。「明けましておめでとう」という言葉は、歳神様を迎える祝福の言葉でした。神様への感謝の言葉を人々の間で交わすことにより、心から歳神様を迎えたことを喜びあったのです。

2011年は私たち日本人にとって忘れることのできない年になりました。脳裏に、胸に、心に、深く刻まれました。私たちに豊かな恵みを与えてくれるのは自然であり、同時に猛然と牙を剥くのもまた自然でした。日本の神道は「全てのモノには命がありなんらかの意味がある」というアニミズムです。人が死ぬと魂は別の世界に行き、祖霊という大きな集団、いわゆるご先祖様になります。この祖霊が正月には歳神様になって、子孫の繁栄を見守ってくれます。私は毎年初詣では、ただ神様にお願い事をするばかりでしたが、今度はちゃんと感謝の気持ちも伝えようと思います。いつも見守ってくれてありがとうございます、と。

Written by Cranberry Jam

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