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ジプシーキングスのライブ -Rirakkuma-

2011年11月11日

音楽好きの知人が、よくライブに連れ出してくれる。
ステージ前の音と熱気に一体化して、日常生活の様々な出来事や痛みが、光や音の中にキラキラと紛れて薄れていく。魔法みたいな時。
先日、ジプシーキングスをブルーノートで聞いた。フランス南部のジプシーが生んだ音楽。
ジプシーキングスの黄金時代を築いたチコ・ブースキーのバンドが来日した。フラメンコギターの胸を突くような旋律と、ジプシー達が放浪の中から作り出した、フラメンコルンバのけしかけるようなリズム感。歌声は、哀愁に満ちている。
ジプシーキングスは79年、南仏コートダジュールの小さな港町で、チコと兄弟、従弟たちにより結成された。地中海に面した広大な湿地帯、カマルグのキャンピングサイトで生まれ育った彼らは、子どもの頃からストリートやレストランで演奏していた。
何千ものフラミンゴが飛び交う独特な光景を呈するこの土地は、ジプシーの巡礼地でもある。褐色の肌のジプシーの守護聖人「黒い聖女」を崇めて、毎年世界中を放浪するジプシー達が、このジプシー最大の巡礼祭に集う。熱気に満ちた音楽を奏で、中世からの迫害の歴史を背負ったまま、燃えるような黒い瞳で褐色の聖女Saraに祈りを捧げる。彼らの祈りの演奏は、ゴッホ、ピカソ、カンヌにバカンスに来ていたブリジットバルドー、人生の最後の時を静かに生きていたチャップリンの感動を誘った。
スペイン内戦の時期に、戦火を逃れ、イタリアやここ南フランスに住み着いたジプシーたちはフラメンコ音楽を、この土地にあった古くからの音楽と自分たちの音楽と絡み合わせ、フラメンコルンバに発展させた。

青山の一角、ブルーノートの洗練された空間で、私は胸を突くようなジプシーの旋律を聴いていた。次第に、私のあの頃のジプシーキングスが蘇ってくる。20代の頃、留学時代にフランスで聞いた、地元の夜のパーティーのジプシーキングス。熱気に包まれた、仲間たちによる演奏だ。
私たちは、「アソシエーション」の仲間だった。アソシエーションとは、フランスの特徴的なグループ単位。いわゆるNPOに相当する、非営利目的の集まりだが、欧米のものとは背景が異なる。「1901年の法」に基づく。この法律は、「結社をする自由」を意味し、1901年に成立した。フランス革命後の封建制度の解体では、宗教団体、同業者団体などのまとまりが解体し、個人と国家の間にはいかなる団体も存在させない形を取った。なぜならば、「団体の成立は個人の自由意志を拘束するもの」と考えられたからだ。しかし、時は流れ、新しい考えが生まれた。2人以上の自由な結社により、世界の不正や誤謬、政治意識の欠落を改善できるのではないか?アソシエーション(2名以上の者が、利益の分配目的以外の目的で自分たちの知識や活動を恒常的に共有するために結ぶ合意)に基づき、様々な活動ができるグループ単位の概念が生まれた。具体的には、反グローバリゼーション、反行過ぎた資本主義、コソボ問題、パレスチナ問題、反環境破壊。この、ジプシーの歴史も、人種的マイノリティの問題に属する。迫害である。ジプシーという日本での呼称は、現代は差別用語とされ、フランスではロマ、チガーヌと呼ばれ、多くのアソシエーションが社会的立場の向上に努める。
様々な社会問題をテーマに掲げるアソシエーション活動はフランスでは日本のサークル活動や飲み会のように盛んなのだ。年齢層やステイタスは入り混じっており、大学と美術館勤務しか世界が無かった私はここで、知識階級に属さないフランス人達と、実に知的な経験を享受した。私が属していたのは、地域で”フェスティバル”を開催するアソシエーションだった。アソシエーションの形式を破り、テーマには集わず、テーマを設けない。逆にテーマを持った個人が集う結社であった。活動は、場所を探してはフェスティバルを行い、各自がブースを設けて考え方を見せる。コートディボアールでの虐殺をテーマとしたポエム、当時流行っていたスクワットと呼ばれるアーティストによる廃墟の占拠の写真展示、反資本主義から襲撃された、パリ10区サンデニのマクドナルド映像。手作りの人形による劇、またアソシエーションの運営資金を同時に賄うために、マルゲーズと呼ばれるチリの利いたホットドックを売った。ユダヤ人ジェロームのアイデアで、このスタンドからは半年分の運営資金を稼ぎ出した。主なメンバー8人は、パリ郊外の自然に囲まれた片田舎の、広々とした庭付きの一軒屋で共同生活をしていて、その家で、80人以上が集まり、庭で小牛を丸焼きしたバーベキューやら、故郷の料理を囲んで、夜通し音楽をかけて、パーティーをした。   
失業率や移民問題に苦しむ多くのフランスの若者は、皆必死に生きていた。不安定な生活の中、共同生活により思想と食べ物を分かち合い、だれもが高い理想や夢を持っていた。言葉に表すよりも、彼らは決まって、ジプシーキングスを演奏する。その長い歴史のほとんどを迫害の中に生き、ヨーロッパ中を放浪する。彼らが作り出す音楽はなんてピュアで、本物なのだろうか。レイシズムの無意味さについて、多くの社会問題の不条理さについて、ジプシーキングスの旋律が社会への問題意識を呼び起こす。それは本当の経験だった。

ブルーノートの演奏は中休憩を挟み、2時間程で終わる。大歓声の中、アンコールは3曲やった。ギターを弾く音に、チコ・ブースキーの情熱的な歌声に、誰もが踊りだしてしまう。
夢を持ち、世の中を冷たく見つめ、真剣に生きていたあの頃を思い出す。明日も、あの頃のように、力強くあろう。ブルーノートの残響の中に、勇気付けられる。

Written by Rirakkuma

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