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TIW Cafe

NO MUSIC, NO PEACE -Cranberry Jam-

2009年09月11日

何年か前に小野リサの日比谷野外音楽堂ライブに行きました。ちょうど今くらいの時期ですがもう少し汗ばむ暑さで、まだ蝉がたくさん鳴いていました。小野リサのことは近所のカフェのBGMで聞いたことがあるくらいで、友人の熱心な誘いに重い腰を上げて行ったのですが、後で友人にとても感謝することになりました。

日が落ちてきて西の空が暮色に染まる頃、ブルーのドレスでおもむろに現れた小野リサは、私たちに語りかけるように歌い始めました。心にひびく優しい歌声、公園の木々の緑、緑にしみいる蝉の鳴声、宵の空の青いグラデーション、白い雲、生ぬるい空気、よく冷えた缶ビール、陽気な弦楽器に陽気なお客さん。周りをとり囲むいろんな物が渾然と1つに調和して、心が溶けていくような甘美な時間でした。

思い出や記憶とリンクする音楽ってありますよね。ライブの曲を聞くと今でもその時の情景が思い浮かびますし、学生の時にはやった曲を聞くとその頃の記憶がよみがえります。他にも、シューベルトの鱒を聞くと、給食の時間にいつも流れていたせいで未だにパブロフの犬のようになってしまいます。

飲食店では、BGMの音楽でその店のカラーが見え隠れします。小野リサが流れる近所のカフェ、ドビュッシーが流れる洋食屋さん、モモンガーモモンガーという変わった歌詞の曲ばかり流れるハイカラな甘味処。先日はお蕎麦屋さんに入ったらジャズが流れていました。ミスマッチなようですが妙に居心地が良く、曲のせいか時間をかけて味わうことができた気がします。

街には音楽が溢れています。生活を彩るには欠かせないものです。沈んだ気持ちが明るくなることもあります。でも人は恐怖に直面したとき、体がこわばっているとき、楽器を演奏したり歌を歌ったりできなくなるといいます。

ちょうど8年前の今日、ある街から一切の音楽が無くなりました。ニューヨークです。音楽だけではありません。地下鉄の走る音、タクシーのクラクション、通りを行きかう人々の声、あらゆる音が消え去りました。どんよりと暗い静寂。またすぐ何か悪いことが起こるかもしれない。目に見えない恐怖。音を失った街。

事件から数日経ったある日、セントラルパークにひとりのミュージシャンが立ちました。そしてビートルズのイエスタディを歌ったそうです。街に重くのしかかる静寂をふり払うかのように。

“Yesterday all my troubles seemed so far away.
Now it looks as though they’re here to stay.
I believe in yesterday.”

今この瞬間も、どこかの国のどこかの街で音楽が失われているかもしれません。

NO MUSIC, NO PEACE

Written by Cranberry Jam

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