メニュー
TIW Cafe

弱った円高、よかった円高 -S.T-

2008年11月28日

円高との出会いは1987年10月の米国ブラックマンデー当時であった。国内金融機関が勤務先であった小生は営業畑から資産運用部隊へ異動した直後で、米国国債などの外国債券の売買を担当していた。隣に陣取る外国株運用チームは米国株暴落でパニック的に売り注文を出していた。まだ何もわからぬまま保有米国国債への影響を案じたがFlight to quality質への逃避)で債券価格は上昇した。安堵したのも束の間、今度はドル(米ドル)急落が始まり、円投(円からの投資)だった我々は保有ドル資産の目減りを防ぐためのヘッジでドルを売り続けた。相場が静かになると、漸くドルも下げ止まるだろうとドルを買い戻す。すると皮肉にもさらに円高が進むので再びドルを売り浴びせるという毎日であった。為替相場を追い続けた目の前のロイターモニターを叩き壊したくなるような心境であったことを円高になると思い出す。

外貨建て資産への投資が仕事だった時期は円高で苦しめられることが多かった。しかし、よかったこともある。たまたま1ドル80円前後で経験した人生2度目のハワイ旅行が最高の想い出だ。この数年前のハワイは120円程度で過ごしたためお得感は格別であった。同僚に申し訳なかったが働き詰めで溜まった有休の消化を会社ルール上促され思い切って常夏の島へ向った。島に着けば仕事上の「弱った円高」はすっかりと忘れ、クレイジーゴルファーだった小生は朝晩で36ホールをこなし、37番ホールはレストランへ直行の毎日。何日かをカップ麺で凌ぎ、せいぜい2日に1度程度のゴルファーだった一度目からはかなりの出世である。お目当ての買い物も値段にこだわらず済ませ米国のGDPに一定の貢献はしたはずだ。80円台の円高は明らかに行き過ぎだったと思えその後2度と訪れなかっただけに、旅行での満足感に加えラッキーだったという思いが今でも強い。

円高であれ、円安であれ、為替相場を見通せればどんなに都合がよいだろうといつも考える。為替との縁は深いものの、為替相場の予想は厄介で、とくに中長期が難しいというのが小生の思いだ。かつて外国債券の研修に参加した際、担当講師が景気後退で値が上がる債券を根暗(ねぐら)、為替は人気投票と評したがまさに的確だと思う。為替相場の注目材料は金利、景気、財政赤字に貿易収支、金融政策、エネルギー問題、そして戦乱と様ざまで目まぐるしく移り変わる。注目材料との兼ね合いで相対的に優位なポジションにある通貨が人気を集めその通貨にお金が流れると理解している。しかし、いつもタイミングよくその通貨は何なのかを読み中てるのは大変難しい。

9月のリーマンショック以降、円高、いや円独歩高が加速している。おそらく各国の金利の方向と金利差が最も注目されているのだろう。TIWでは輸出企業を担当しているが、急激な円高で一層業績が見通しづらくなった。小生にとってはまたしても「弱った円高」だ。

でもいい話もある。親友の子供がカナダに留学中だが仕送りがかなり楽になったそうだ。海外パック旅行もかなり安くなっているようだし、円高還元セールなる広告も見かける。小生のつたない経験からは為替相場は一定のレンジを超えて動き出すとその方向に大きく動く傾向がある。また、これまで、とくにドル/円は、結局、米国の思惑に沿って動いてきたような気がしている。ということで暫くは円高が続きそうで、流れには逆らわず円高と当面はお付き合いをしようという心境だ。小生も含め円高で大変な思いをされる方々には申し訳ないが円高のメリットも沢山ある。世の中全体としては円高の良い面が評価され、人々の行動が起こることで、円高デフレによる景気後退などの事態はくれぐれも避けられるよう願っている。                

Written by S.T

TIW Cafe 一覧 TOPへ戻る