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篤姫 -Smily Smily-

2008年10月03日

休日を利用して、故郷の鹿児島に帰省した。
大河ドラマ「篤姫」のおかげか、故郷はこころなしか潤っているように思えた。
(橋のランタンに薩摩切子が使われていたのには驚いた。)

せっかくなので、篤姫展に足を運んでみることにした。

篤姫が養女となった島津家は鎌倉時代に始まる武家で、秦の始皇帝の末裔と称する秦氏の子孫・惟宗氏の流れをくみ、鎌倉時代に惟宗忠久が源頼朝から近衛家の荘園「島津荘」(現宮崎県都城市)の地頭に任じられ島津姓を称したのが始まりといわれている。

外様大名ながら正室を送り出したことは異例ではあったが、これらは近衛家との古くからの主従関係や姻戚関係を背景としたものであった。

篤姫の生家・今和泉家は元を和泉家と言い、1318年に第4代島津家当主・忠宗から次男・忠氏が和泉荘(現鹿児島市出水市一帯)を譲り受け和泉氏と名乗ったのが始まりといわれ、第5代当主・和泉直久が1417年の川辺城の戦いで死に断絶も、327年後(1744年)、22代島津家当主・島津継豊が弟・忠郷に直久の跡を継がせて和泉家を再興。今の和泉の郷という意をもって今和泉家となった。

篤姫の生家(この邸跡は現在、某社長宅となっている)は薩摩藩の本丸・鶴丸城(鹿児島市街地)から東北に1キロ程のところにあり、礒海岸が目と鼻の先である。礒海岸をさらに北へ下ってゆくと島津家別邸の仙巌園(礒庭園)があり、桜島と錦江湾を借景にした庭園がとても美しい。

意外にも、篤姫展は地元の人々で賑わっていた。
「篤姫」主演の宮崎あおいさんは鹿児島弁が本当にうまく、地元の人の思い入れもひとしおかと思われる。

以前、深夜番組で「鹿児島県人に西郷さんの悪口を言ったら怒るのか」を検証する内容の企画があった。街行く人々に西郷隆盛を悪く言い反応を見るのだが、結果は「怒る」であった。

故郷を離れてこれまで、風土を強く意識したことはなかったが、良くも悪しくも土着文化の根強さを感じた帰省となった。

Written by Smily Smily

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