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花火 -CranberryJam-

2008年08月08日

マンションを賃貸で長年住んでいる人が、先日こんなことを言っていました。
「花火大会の日に、バルコニーから花火が正面に大きく見えるので、ここから動けない」1年に1回その日のその時間だけ、花火が間近に観られるというのが理由で、どうしても引越しがためらわれるそうです。

同じように、桜の木があるから今住んでいる場所から動きたくない、という話も聞いたことがあります。
1年のうちのほんのわずかな、美しさを感じるその瞬間のために、動けなくなってしまう。
思いもよらないことが、住み続ける重要なポイントとなることがあるようです。

花火と桜。どちらも季節を表す風物詩です。
夏の夜空に大輪の花を咲かせ、儚くも一瞬で消え入る花火。春先に淡く美しく咲きほこり、儚くもあっという間に散りゆく桜。
「儚い」という字は、人の夢と書きます。花火や桜に移ろいゆく季節を感じながら、淡い夢を見て心を震わせるのかもしれません。

新聞に、線香花火の呼び名のことが書いてありました。
『線香花火の火花が飛ぶ様子を咲き方といい、花にちなんで表現する。こよりにつけた火が火の玉になったさまが「牡丹」、火花がはじけ出ていくつにも分かれる「松葉」、少し縮み始めて火花が放物線を描いて散る「柳」、最後に小さな火花がちょろちょろと散る「散り菊」。日本人らしい見立ての精神だ。』

最も繊細で、奥深い表情を持つ線香花火。家族や友人でワイワイ楽しむ河原での花火も、最後のシメにはやっぱり線香花火が欠かせません。そしてついに最後の1本になってしまったときの、あのなんとも言えない切ない感じ。その1本をみんなで囲み、美しく燃えて散りゆく花をじっと見つめます。みなを優しく照らす赤銅色の光。パチパチと響く心地よい音。フルフルと揺れる火の玉。ジューッと小さくなって…ポトリ。華やかさや儚さといったその火の移ろいに、人生の満ちかけをなぞらえる人もいるでしょう。

もし平安時代に花火があったなら、清少納言はこんなふうに言ったかもしれません。

「夏は線香。ほのかに光りて細く散りたる いとをかし。なおとどまりて赤う見ゆるに やうやう消えたる いとあはれなり」

Written by CranberryJam

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