まずいっておこう。私はフェミニストではない。
決算シーズンともなれば電車で移動することも多い。大概は決算数値や取材内容の復唱が頭の中でめぐるものだが、ふっと息が抜けると社内広告へ目が行く。
はて。いままであっただろうか。「お化粧は自宅で」という広告。
かつて和辻哲郎は述べた。
「人は人間関係に於てのみ初めて人である」、と。かの有名な人間論である。
公と私を分けない行動が目立つ。一言で言えばモラルの欠如で片付けられるこの事象、私は女性の社会への進出が要因の1つと考えている。
仮に時間と言う概念が存在し、1日を24時間とするのであればこの数字は誰にも動かせるものではない。万人に共通である。その中で1部が尖れば1部はへこむ。
雑誌の締め切りが3時間後の状況下でゲームに2時間費やせば残りは1時間しかない。
当たり前の話だ。
社会に女性が出てくるようになった。これ自体は否定するものではない。
時代は変わる。必然であろう。しかし、その分男性の時間は他へ振り向けられなければならず、窮屈なものとなった。
統計上、女性が社会で働き出したからといって男性の働く時間は減っていない。
むしろ家事や育児の時間が増え、余暇が減っている。共働き世帯が増えている中で、だ。断っておくが、この状況に反発するものではない。時代が変わればこれも必然である。男性がどんどん窮屈になっていくその進行の中身に納得がいかないだけだ。
大切なのは新時代の中で各々は立場を変えつつ、適応していかなければならないということである。女性の社会進出は大いに結構。労働力という観点から女性が経済成長のための重要な鍵でもある。しかし、我を通すのではなく、少なくとも公私はわきまえなければならないだろう。女性を持ち上げ我侭を許すことが男女平等への道ではない。何かあればフェミニストが口を開く世の中で、ようやくおかしいとする行動の端緒が垣間見えたことは非常な喜びであった。
最後に、この言葉で締めくくろう。
女性作家、故野上弥生子の言葉である。
「女性である前にまず人間であれ」。
Written by 鈴木 崇生