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「ゆとりは大切だと思う」 -鈴木 崇生-

2008年04月11日

ネット上を徘徊していると、とある意見に対して「ゆとり」と答える場面をよく見かけるようになった。調べてみればネットスラングの模様。
起源はゆとり教育にある模様だが、今では年齢に関係なく稚拙であるとみなすと「ゆとり」と呼んで蔑むようだ。それで再びネットを徘徊すると、成程、使い方がわかった気がした。この「ゆとり」ネット流行語大賞2007では銅賞を獲得したのだとか。

ゆとり教育に関して、私自身は肯定的な意見を持っている。私自身がお受験戦争に巻き込まれて点数にがんじがらめにされた反動もあるだろうが、知識の詰め込みに固執せず多様な経験を取り入れるという本来のコンセプトには共感できる。
ふり返っても、テストの点に振り回されたあの時期は辛かった。
ただし、コンセプトに基づき行われたであろう諸施策は弁解の余地も無いほどに呆れ果てる。やり方を間違えましたでは済まないのが恐ろしい話だ。

最近は恐ろしい世の中になったものだ。歩く際は人との間隔を一定以上はあけるようになったし、駅の自動券売機は意図して一番窓口に近い場所を利用するようになった。
報道記事を見ていても狭量に過ぎたり、些細なことで大問題に発展していると思われることが数多い。一昔前ならブラックユーモアで済んだり、笑い話ですんだりしたことが今では通じないことが多い気がする。何故だろうかと考えて、心にゆとりがないからだと自分に問いかけてみると、確からしさがある。

ゆとりは大切だと思う。

では、ゆとり教育でよいのかと問われると、今のゆとり教育の有り様以前の問題として、大切な概念が上の方々には欠落しているように思えて仕方がない。

菅子曰く、
「倉廩実(み)つれば則ち礼節を知り、衣食足れば則ち栄辱を知る」

家計貯蓄率の減少、可処分所得水準の低下などが指摘されて久しい。しかし、改善する傾向は未だ見えず景気も減速に向かう模様である。その日の食べ物に困る人に対し窃盗をするなと説いて何になろうか。経済が安定的に成長する土壌を築けない限り、心にゆとりをと叫んだところで全ては水泡に帰すであろう。

本来、投資とはその日の株価動向に踊ることなく企業の成長に資金を投じるもの。事業や会社に魅力があり、自分では経営できないからこそ資金を投じ、投資という行動が生まれるはずだ。

換言すれば「許容できるリスクの範囲内」となるが、投資は心にゆとりをもって行うべきものであろう。にもかかわらず、昨今、その日の株価の値動きに一喜一憂する人が多い様に感じられる。それは先行き不安からくる焦燥感の現われかも
しれない。混迷を続ける政治家たちに、経済基盤の安定を図るよう強く求めたい昨今である。

Written by 鈴木 崇生

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